京都 振袖【太夫それとも花魁】
2月15日(日)まで
細かく追求していくと時代や場所によってかなり定義が複雑なので、極々簡単にご説明。
便宜上、関東代表を江戸吉原(新吉原)、上方代表を京都島原(嶋原)とします。
花魁と言うのは、吉原遊郭(新吉原)に属する高位の遊女への敬意を込めた『呼び方』です。
(俗に、花魁と称される資格のない遊女へも「おいらん」と呼びかける事があったそうです。ご機嫌取りですね)
諸説ありますが「おいらんとこの姉さん」が訛ったものと言う説があります。(吉原以外の遊女を花魁と称するのは誤りです)
吉原遊郭は色を売買する街、すなわち色街です。
遊女は色を売る相手やタイミングを選ぶ権利を有していたので、お客が付く=色事に及ぶと言うわけでもなかったようです。
但し、客を選ぶ余裕がある遊女は一部であって、借金が焦げ付いたような遊女は選んでいられなかったようです。
ですが、今の感覚で売春婦だと考えるのは早計だと思いますし、ただ色を売ってれば良いと言う遊女ばかりではなかったと思います。
京都島原に倣って「太夫」の位を設けていた時期があったらしいですが廃れてしまい、高位をひっくるめて花魁と呼ぶようになったそうです。
(花魁には複数の“位”が含まれます。呼び方なので、花魁と言う“位”はありません)
宴席を盛り上げる職業として芸者は居ましたが、遊女とは別の職業です。
ちょっと乱暴ですが、京都の芸妓・舞妓は江戸の芸者に該当すると考えても良いと思います。
なお、吉原は吉原でも『元吉原』は、後述の島原と同様に花街の要素が強い街だったようです。ここが大火で焼けた後、新吉原が誕生します。
太夫は京都島原の妓女の最高位のことで、『位の名称』です。太夫は「こったい」さんとも呼ばれます。
官許の妓女に許されたもので従五位の位を持ち、宮中への出入りを許されたそうです。
襦袢の衿の一部を引っくり返して赤い裏を見せているのはその印だそうです。
太夫の下位には、おっしゃるとおり天神がいます。(天神も上方での位の名称です)
島原は遊宴の席が設けられた街、花街です。遊郭とは違い、色の売買を目的とした街ではありません。
芸妓・舞妓は宴席を盛り上げる仕事、プロのパーティ・コンパニオンだと捉えたら判りやすいかと思います。
ちなみに舞妓は舞が専門で、基本的に“子供”です。芸妓は舞妓よりも経験を積んだ人達で、歌舞音曲で宴席を盛り上げます。
芸妓が芸事を披露することが専門であるのに対し、太夫や天神と言った妓女は多種多様な方法で客をもてなすことを要求された為、芸妓よりも更に多くの知識や教養、芸事の嗜みが必要とされたそうです。
お客様にどんな話題をふられたとしても、会話を成り立たせてもてなす必要があったでしょうからね。
なお、島原の輪違屋には現役の太夫さんがいらっしゃいます。
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